4. 書いて、考えて。考えて、書いて

英語を中心にして生活をしていると、英語で考えることが割と増える。特に、英語で獲得した概念などを考える時、日本語では表すことができないので英語で考えざるを得ない。数学を考える時は数字や記号という言葉、図形を考える時は線や曲線、放物線という言葉を使って考える。言葉とは、コミュニケーションのための他に考えるために使う道具でもある。このブログを書く目的も、僕の考えがモヤモヤしているのを、言語化して整理をしようとするのが一つである。

英語を勉強する上で、「使える英語」と「使えない英語」と良く言われる。「使える英語」という時、僕たちは聞けたり話せたりする英語と言われる。それに加えて考えるための英語も含んで、コミュニケーションや考えるための道具としての英語が使える英語なのではないかと思う。一方「使えない英語」とはなんなのだろうか。僕は、「使えない英語」はそもそも英語ではないと思う。英語という暗号を解読するためのツール、つまり英語のそれぞれの単語がこういう意味で、それがこういうルールに則って並んでいるということを学んで、自分たちのわかる日本語に直そうというプロセスが、学校で学ぶ「使えない英語」ではないのか。つまり、和訳や英訳は暗号を解読して日本語に直したり、日本語を暗号に変換したりするという作業をしていて、時間がかかってしまう。だから、英語を聞くときに、解読の時間が足りなかったり、話す時に変換に戸惑ってしまう。英語を読んでいる時も、「使える英語」と「使えない英語」ではまったく違うことが起こっている。例えば、「辞書」という言葉を聞いた時に僕たちは辞書という言葉や辞書の写真を思い浮かべたりはしない。ただ辞書という概念を思い浮かべる。「使える英語」ではdictionaryと聞くと同じように概念を思い浮かべるが、「使えない英語」では「辞書」という日本語を思い浮かべる。そして、辞書という概念を思い浮かべるのだ。

話が横道に逸れてしまい、それがメインになるぐらいの勢いを得てしまったが、言いたいことは、言葉の本質はどういうことなのかということだ。深い考えを表すには深い言葉の表現が必要で、深い言葉には深い考えが宿っていると思う。だから、語彙力の低下は少し心配になる。数学で微分の表現方法がなくなってしまうと大変になってしまうだろう。言葉が足りないのでなんだかまとまらなくなってしまった。